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2021.1.14

記憶の海でプカプカと読書。『ライ麦畑でつかまえて』by サリンジャー

昨日ブログで細かく書けなかった、
いや、中途半端に書きたくなかった、
昨日読み終えた本は、『ライ麦畑でつかまえて』/野崎孝訳・。

作年末に、久しぶりに読みたくなって、
本棚から見つけて、年明けから読んだ。
最近じゃ、『ライ麦畑でつかまえて』っていう名前での出版の他に、
違うタイトルで、
村上春樹さんの訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』なんかも出版されてる。
この、
サリンジャー作の『ライ麦畑でつかまえて』に関しては、
訳をする人によってずいぶんと印象が変わるんじゃないかなぁ。


とにかく、
自分が、染谷俊としてデビューの頃に読んだ、
この『ライ麦畑でつかまえて』、
一人称の語りで進んでいくこの小説は、
その時、「すげぇ。過激だわー」と思ったものだ。
そして、あまりにもピュアで、
胸が痛いなぁ・・とかなんとか。
次から次へと、社会やら学校やら友達やら元恋人やらに、
心の中で文句をぶちまけたり、けなしたり、怒りをあらわにしたり・・・
そうやって、物語が進んでいく。

なんで??・・この本をあの時、読んだかっていうと、
佐野元春さんが影響を受けました的にいくつかの小説を紹介していた雑誌があって、
その中で、この、『ライ麦畑でつかまえて』が気になって読んだのだった。

あれから、久々、27年ぶりぐらいに読んだ今、
なんだか、本当に、あんまり内容を覚えていなくて、
時折、「この風景、覚えてるかも・・」なんて思いながらも、
こんなにダラダラと辛辣な一人称ぶちまけ物語だったっけ・・なんて感じで、
地道に読み進めた。

小説の終わりまでのあと100ページぐらいのとこからかな・・
「そうだ、そうだ、フィービーとのやり取りがこのへんであったあった!」
なんて、ちょっと読書がときめきに変わり、

そして、310ページ。
ついに、
記憶が、27年前にこの本を読んでいた自分とつながった。
学校に忍び込むシーン。
そこで、体育館みたいなところでホールデン(主人公)が見つける、
“金の輪”。

小説の文体の中では、さーーーっと通り過ぎていく中に出てくる言葉なんだけど、
そうそう、
27年前に、この“金の輪”って言葉を見つけた時、とんでもなくドキドキしたのを覚えてる。
「これが、佐野さんが歌に書いてた、“金の輪”・・ゴールデンリングなんじゃないか!!」
なんて。

そこから、次のときめきの言葉は、
終わりまでもうあと7、8ページのあたりに出てくる、
“回転木馬”。

いやいや、27年ぶりのトキメキよ。
これだーー!あの時、このシーンで、なんともいえない気持ちになったんだ!
「これが、佐野さんがきっと歌に使ってた響きの言葉”回転木馬” 、
メリーゴラーンドだ!!」なんて。

そんなこんな、
この年始から一日ちょっとずつ読んだ『ライ麦畑でつかまえて』は、
昨日で終わっちゃった。
それも、なんだか、ふっと、あっけなく。
けれど、
なにか、
とても、不思議な気持ちに包まれながら・・。

27年前、オレは、どんな気持ちでこの本を読んでたんだろう・・とか、
何を探してたんだろう・・とか、
何処へ行きたかったんだろう・・とか、
そんな気持ちと、今の気持ちを行ったりきたりしながらの読書だったからかも・・だ。


『ライ麦畑でつかまえて』by サリンジャー。
一応長編だしね、
ニーチェの『ツァラトゥストラ』ほど分厚くないけど、
まぁまぁ、
久しぶりに読めて、良かった。
こうなってくると、
久しぶりにあの頃読んでた懐かしい英米作品も読みたくなるなぁ。。。

カポーティーの『遠い声 遠い部屋』とか、
ホイットマンの『草の葉』とかねー、
読んじまおかな、もう一度。
懐かしーやな。
トルストイの『光あるうち光の中を歩め』とか、
ジョイスの『若い芸術家の肖像』ねーーー。
きっと本棚をあされば、
出てきちゃったりするから・・・
これまた、これまた・・・だわ。

こんな、
”懐かし”に引っ張られて盛り上がってる気持ち、
なんか、こわい。
オレももうすぐ、想い出の中に消えちまうんじゃないかとか、
そんなふうに(笑)。。


それにしても、
あの頃、しゃかりきになって読んでた本てのは、
記憶にしっかりと残っててて、
その本を読んでた自分も、
その記憶の海の中でプカプカと残像を残して、
今もなお浮いてるもんなんだなぁ。
なんらかを、こちらに語りかけながら。

とりあえずは、
『ライ麦畑でつかまえて』の一番最後のページの、
「その他の白水ブックス・オススメ本」の中にあった、
これもこれでとても懐かしい、
あの頃好きだった『君がそこにいるように』/レオポルド・・あたりから、
もう一つのお久しぶりの読破、攻めてみよかな・・。