早起きをして、
雨の配信キャンプで着たレインコートをもう一度洗った。
炭の匂いは、やっぱ強い。
まだ燻された感のある匂いが残っていたので、
昨夜中にお風呂に浸しておいて、
今朝、洗った。
今日は、晴れた。
ベランダには、そっとした風が吹いている。
それは、あたたかな風。
気持ちがいい。
ついでに、キャンプ用のナイフやお皿たちも、
もう一度入念に洗って、シートを広げた上に並べて干した。
気持ち良さそう。
朝からサポートの資料が届いた。
目を通しながら、目が「きっ」となる。
久しぶりなこの感覚に、自分で、いいねと思う。
一昨日ぐらいには、
また違った方からゲスト出演のお話をもらった。
ありがたき。
先週には、また違った方からの夏のバンドサポートのお話。
サポートという立場での音楽は、もうやらないだろうなぁと思っていた。
一年中の自分自身の歌旅で、そんな時間はもう作れないだろうなぁと思っていた。
いや、自分からは作らないと決めた。
けれど、
予想だにもしていなかったけれど、
その歌旅というもの自体が、忽然と消えた。
奪われたわけじゃないけれど、
望んでも願っても、自由に手に入れられる場所ではなくなってしまった。
過去に思い描いた自分と、
今、現状に在る自分。
その間で、
いつも胸が苦しい時期もある。
それでも、
最後に思うのは、
音楽をやりながら生きていたいという思いだ。
なんだか、
とても言葉で表現することは難しすぎて、
考えれば、考えるほど、
誓いと書かれたブロックや、未来と書かれたブロックや、
約束と書かれたブロックや、失望と書かれたブロックや、
矛盾、不安、理由、あきらめ、現実、疑問、・・
たくさんのブロックが浮いた水の中で、
それらのブロックのひとつに手を伸ばしては一緒に沈み、
また違うブロックを助けを求めるように掴んでは一緒に沈み、
バタバタと、ごぼごぼと、
必死に岸に上がろうともがいている・・
ようになるけれど、
生きてはいたい。
間違っても、
はずれても、
苦しんでも、
喜怒哀楽を捨ててはいけない。
死んだ目になってはいけない。
やる気。
みなぎる気。
自分にはまだ価値があるかもしれないという気。
努めたいという気。
這い上がれるんだという気。
ふんばるんだという気。
なんでもいい、
自分の目が、「きっ」となるようなことをしたい。
ぼんやりして生きてる場合じゃないんだ。
昨日まで税務署に提出してくださいと言われてる資料をまとめていた。
ここ3年ぐらいの細かな資料。
今一度、見直してみたりした。
歌っていた場所や、作ってきたグッズなどの文字を見ながら、
懐かしさと、その時々の自分が動いてた時の気持ちや、
見た風景や、みんなと過ごした時間が蘇った。
昨年の資料に関しては、
CD『歌えば尊し』をこんなにたくさんの人たちが手にしてくれてたんだなと、
胸が熱くなった。
会えなかったけれど、それぞれの人たちの手に、胸に、
届いてくれていた『歌えば尊し』の歌たち。
それでね、
さっき綴ったけれど、
やっぱり強く思ったのだった。
「ぼんやりして生きてる場合じゃないんだ。」と。
洗い物の間に、さっと煮麺を食べた。
10時半。
久しぶりに体を動かそう。
揺れる心に気持ちを揺らされてるんじゃなくて、
自分で動いて、心を揺らしていこうと思う。
ブランコで、上に上にと足を伸ばしてっていう、
あんなふうに、動いて、揺らして。
時にそれは、
ただ、がむしゃらに無鉄砲に暴れてるようにしか見えないかもしれないけれど、
それでいい。