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2020.8.25

天まで、届け 〜2020夏の一編〜

まだ今年の梅雨明け宣言が出ていなかったか頃、
セミの声を聞きながら、
感じたことを歌にしようとiPhoneにメロディーを録音した。
今日、その時の日付を見たら、7月の20日だった。

あれから、1ヶ月か。
ことあるたびに、
そのメロディーになんだかんだと浮かんできた言葉を乗せてはダメ出し、
また書いては書き直し、
いつのまにか、この歌はできねぇか・・なんて思っていた矢先、
三日前ぐらいから、むくむくと空へ沸いた水蒸気が雲になるように、
その歌の言葉たちが湧いてきて、
それらを夢中でノートに書き殴って、
少しずつ少しずつ、それは粘土をこねて思い描いた形をつくるように、
少しずつ少しずつ・・
そして、また今朝6時前、
ピアノの前に座って鍵盤を撫でながら、その言葉の破片を口ずさんでいるうちに、
8時前あたり、
その歌は、完成というに近い形に至った。

直線的な歌ではないけれど、
「きっと、今、こういう歌も書きたいんだろう?」と、
染谷俊に問うたりする。
先日、ふっとかいた、『2020年のおじいちゃんへの日記』という歌のように。


週が明けて、今週は、自分自身へのリスタートの想いをこめての配信ワンマンライブがあり、
もうひとつ、週末には、デビュー時に大変にお世話になった恩人でもある、
アレンジャー&キーボーディストの西本明さんとのスペシャル配信ライブもある。
いろいろと一喜一憂したこの夏、
“今年の足跡”というようにくっきりと見える、
そんなライブをしたい。

ここ4日ばかりは、音楽漬けの毎日をすごした。
起きちゃ、ただただ、ピアノの前でノートをひろげて。
クーラーもない部屋で、気づけば汗だくになる時間は、
いつか読んだ、真夏の片隅を描く青春小説の一編のような気がした。
中上健次や、大江健三郎の小説を読んでいた頃の自分に戻った気持ちなんかもしたのだった。

iPhoneの中で調子の悪くなって見れなくなったSNSのアプリ。
それがぎゃくに、
自分を、自分だけの日常の中で生きさせてくれたような気もした。
こういう日々も悪くなかった。


さて、今日は、
昨日までになんとなくまとめていた歌を録音しに出かける。
歌とピアノとギターと、きっと、打ち込みのドラム。
とても、楽しげ。


今日の日記の書き始めに綴った歌に、
仮のタイトルをつけた。
『天まで、届け』
きっともう少し、修正をするのだろうと思うけれど。
タイトルさえも変わるかもしれない。
でも、いいさ。
毎日は、そんな感じで、
明日のことは、わからない。


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『天まで、届け』/染谷俊

若干、フライング気味 セミが「ミーン、ミーン」と鳴いてる
不自由な日々を愚痴ってる人間たちより マシじゃねぇか

よくも悪くも春夏秋冬 日本の常識と道徳
どうでもいいか、そんなこと お前、歌いたくてしょうがないんだろう

偏西風が吹くところ 明日の天気は誰も知らず
運命だって同じこと 先行きなんて誰も読めず
ならば 待っていてもしょうがねぇ
「今がその時だ!」と セミの声

鳴け 歌え 命枯れるその瞬間まで
「一度きりの人生に後悔だけは残してたまるか」と
飛べ 歌いながら 光の中へ さぁ 飛んでゆけ
誰が止めても歌うんだろう
「ミーン、ミーン、ミーン」
その声は おまえが生きてた証 天まで、届け


天気雨がパラパラと 僕の顔を濡らしてく
「そろそろ目を覚ませ、ボンクラ!」と
お天とう様がビンタをくれる

よくも悪くも春夏秋冬 あっという間に夏が終わる
日焼け以外に 今年の夏は 自分、何を刻んできたんだろう

偏西風が吹くところ どうやら嵐がやってくるらしい
そんなニュースがチラホラと 人々はざわつくけれど
そしらぬ顔で ほら あいつだけは 我が人生を今日も真っ当してるんだ

鳴いて 歌い 命尽きるその瞬間まで
空いっぱいに響いてた 「生きてるんだ」という命の声
飛べ 最期まで 思い残すことなく 飛んでゆけ
歌いたかっただけなんだろう
「ミーン、ミーン、ミーン」
その声は おまえが生きてた証 天まで、届け

命枯れるその瞬間まで
「一度きりの人生に後悔だけは残してたまるか」と
飛べ 歌いながら 光の中へ さぁ 飛んでゆけ
誰が止めても歌うんだろう
「ミーン、ミーン、ミーン」
その声は おまえが生きてた証 天まで、届け