2013-12-20 Fri
ビクタースタジオにいる。
なぜか無性に言葉を綴りたくなってパソコンを開けている。
書きたくなった事柄は、自分がバックメンバーとしてステージに立たせてもらっている清木場俊介さんと今年2013年に刻んだ日々のこと・・・いや、自分がその日々に感じたこと・・だ。
もっともっと言えば、この書き出しは、正確ではない。
なにせ、「清木場俊介さんとのこの一年」をなんとか言葉にしたいと思ったのは、ビクタースタジオの片隅にいる「今」が始まりじゃなく、ここ数日間、ずっと、書き残していたい気持ちですごしていた。
忘れたくないから。
誰のためでもなく、自分のこの一年のために。
でも、なんか思いを言葉として形にすることが難しく・・いや、書くならもっともっと時間がある時に・・と思いを先延ばし、整理しようとして・・・
けれど、今日、衝動に任せ、こうして、パソコンを開いた。
隣では、ビクターのディレクターさんがせっせとスケジュールを組み立てている。
ロビーの向こう、キヨキが足早に消えていく。

話はそれるけれど、
清木場俊介さんのことを、自分は、「清木場さん」と呼ぶことがほとんどだ。
ともに清木場俊介と夢を語ったりする時、あと、オレの絶対的な仲間と話す時は、
「キヨキ」と呼ばせてもらったりする。
この呼び方が、本当は自分は一番好き。
他、こうして言葉として語らせてもらう時は、「清木場俊介」と書いたり、「清木場氏」と書いたりもする。
自分でも不思議だなぁと思う、こんなに自分にとって呼び名がある人。
ただ、ひとつだけ、「清木場さん」と呼ぶ時の自分なりのこだわりの場所がある。
そう呼ぶ時は常に、「創作」の場所。

これは、勝手な自分のエゴでもあり、妄想でもあるけれど、
ものを作る人・・・僕らで言えば、歌を産む人、音楽を産む人は、
どれだけ経験があっても、また新しい歌や音楽を産む時は、
経験ではなく、前例ではなく、「0から1」だ。・・・と思っている。
「前の場合は・・」とか、「普通は・・」とか、「今までは・・」とか、
そういうのは、あり得ないと思っている。(先も言ったけど、オレの勝手なる思いです)。
そんな自分の思いの中で、
どれだけ年月をともにしたりしたとしても、
やはり、清木場俊介さんと「創作」や「新しく挑戦すること」において、
0でいたい。
またここから。
なぁなぁではなく、またいちから。
そんな思いで、自分は、「清木場さん」と呼ぶ場所・・創作の場所がある。

自分でも、めんどくさい自分だなぁ・・と思う。
もっと、そんな垣根を越えて、笑い合えればいいなぁ、いつでも一番好きな呼び名で呼び合えればいいなぁ・・と思う時もたくさんあるんだけど・・
これは、オレの性分なんですね・・自分なりの、その時々の清木場俊介の呼び名がある。
話はずいぶんと逸れたけれど、それをふまえて、今日こうしてこみ上げてる思いを綴っていきたいと思う。

「今年のキヨキとの日々を書き残しておきたい」・・そう、こみ上げたのは、
まばゆい光色に包まれて朝が明けた先週のあの日、
清木場俊介さんの国際フォーラムでの”WHITE ROCK”ライブの日だ。
「今年最後の清木場俊介さんのステージなんだな・・・」と、なんともいえない気持ちで電車に揺られて会場に向かったあの日。
引きずるキャリアバッグの音、駅までの道すがら吹きつける風の音、乗り継ぎのホームでの地下鉄が近づいてくる音・・それらがとても愛おしく感じたあの日。
そうだな、こうして、ずいぶんとこの音に包まれながら、清木場俊介さんの歌う旅をともにできた今年だったよな・・
そう、感じたあの日から、なんだか、この一年の清木場俊介とともに生きられた瞬間瞬間のことを考えていた。

始まりは今年、2013年、2月末。
打ち合わせもしたな。そこから始まった3月の大阪と東京のアコースティックライブ。
モニター環境もアンサンブルも、すべてが初めてだったその挑戦。
リハーサルスタジオで何度も何度も清木場俊介が求めるグルーヴを求め、メンバーとも戦った。
とってもとっても難しくハードな毎日。
ライブ前日のゲネプロは、大阪のライブハウスを貸し切って、最後の調整をした。
キヨキは何度も何度も歌ってくれた。けれど、なかなかバンドグルーヴがまとまらず、夜中、0時を越しても、演奏は続いた。
そして、その間、清木場俊介はずっと歌ってくれた。「こんなんじゃない」思いを伝えてくれながら、ずっとずっと歌ってくれた。
そして当日。
ライブハウスの上の窓から、トークコーナーを見ていた。
緊張感ある始まりから、その後キヨキの笑顔とお客さんたちの笑顔を見れて、
ジーンときた。
絶対、成功してやる・・っつーか、このライブ、絶対、絶対・・って思った。
そして、ライブ・・・拍手が染みた。
で、「もっともっと・・」マジ、そう思った。
大変さもあったけれど、それは確かな手応えで扉を開いていくような日々だった。

アコースティックライブが終わり、すぐに4月、ニューアルバムプレビューライブへ向けての日々。
アコースティックサウンドから、再びバンドサウンドに戻ってのライブへと「スイッチしていく」ことへの感覚も、挑戦だったと思う。
「スイッチしていく」ことだけでも大変なことだけれど、そのプレビューライブのリハーサルとともに、5月から始まる全国ツアーのリハーサルも並行してやっていた。
プレビューライブと、ツアーライブは、全く違う色合いを持つものだ。
それぞれの曲目を入れ替え、曲順を入れ替え、
何通りもの曲順を作り、1曲目からリハーサルをして、ライブの流れを確かめたりもした。
「何かが違う」と感じれば、それをまた修正し、そしてまた1曲目からの流れで曲順通りさらっていく。
ほぼ曲順が確定していくと、そこから前後の曲の流れで、1曲1曲のテンポを変更し、また確認をした。
清木場さんの集中力はハンパなかった。
そして、そのポテンシャルも。
いつだって、ひっぱってくれてくれたのは、キヨキだった。
立ち止まることなく、「絶対やれる」と悠々と前へ前へと進んでいく気持ちと姿勢。
その勢いを追いかけて、音楽に染まり、音楽の中で生き続けていた日々。

5月から7月は全国ツアー。
もちろん、ホールならではのパフォーマンス、そして、唄い屋としての想いのすべてを歌にこめる姿勢は変わらず。
そこにプラスアルファ・・・
今までよりも、より、
その日、その時、「歌いたいと思った歌を、歌う」・・・それを貫き、
そこにも「挑むこと」と向かい合っていた清木場俊介がいた。

何度、ステージでその日の「歌いたい歌」について話したろう。
何度、楽屋で話したろう・・ライブが始まる前。ライブが終わったその直後。
「この日は絶対この歌を歌いたいんです」と、想いを綴ったメールもたくさんきた。
濃かったなぁ。

今でも、その日々を振り返れば、名付けようのない熱い震えのような感覚がこみあげる。
ずいぶんと譜面を持ち歩いていたなぁ。
事務所の人が、全曲をプリントアウトしてくれたそのコード譜は、20センチ以上の幅があった。
重かった。
でも、その重さよりなんか比べようのないぐらいな、「歌いたい気持ち」。
リハーサルのたびに、キヨキは、ひとりギターで歌ったり、ギターをポロポロ鳴らしたり、
時には楽屋でひとり練習したりもしてた。
リハーサルの音決めが煮詰まって本番開演まであとちょっとしかない!って日でも、照明さんの調整が入るステージで、ひとり歌ってた。
その背中を、オレは見ることしかできない日もあった。
突然のピアノの弾き語りで歌う曲も時にあり、その瞬間に立ち会うたび、「この自分にできる精一杯のこと」を感じられて、自分がここに在る意味に充実をも覚えた。
1公演、1夜1夜、1リハーサル1リハーサル・・かけがえない経験だった。

たくさんの夜を越えて迎えた最終日の大阪城ホール。
ここでも、清木場俊介の妥協はなく・・・というか、
また新しい清木場俊介がそこにいた。
リハーサルから、「ツアーのことはツアーのこと。今日のこの場所と、今までの場所は違う」・・そう凛とステージに立つキヨキがいた。
マジ、燃えた日だった。
終わったあとの酒がうまかった。あんなにうまかったお酒は、ひさびさだったな・・・
バンドメンバーは、ずっとずっと、”ROLLING MY WAY”を口ずさんでた。
笑って、笑って、・・で、また次へ目を尖らせて、
・・で、オレもまた、目を尖らせ・・潤まないように、目を細めて。

・・・・
・・・・・
さて、ビクタースタジオから帰ってきました。
雨がすごくて、押し合いへし合う満員電車で・・普通だったら、オレ、ぶちぎれて傘もぶっ壊して帰ってくる頃だけど・・
今日は、あれからずっとキヨキとのこの一年を考えている。
・・なんで、もうずいぶんと遅い時間だけど、このまま、言葉を綴ります。

7月までの清木場俊介全国ツアー最終日大阪城ホールの後、次の清木場俊介さんのライブ、
自分が参加したのは、8月、山口きららドームでの何年ぶりからのフェス参加のライブ。
今、帰ってきて、今年のスケジュール帳見たら、なんと、大阪城ホールライブの2週間後ぐらいから、そのサマフェスまで、次へ向けての清木場俊介レコーディングが始まっていた。
デモテープ作りのような作業も、ともにしていた。
人の目には見えない水面下の中で、キヨキは動きまくっていた。
で、並行して、ライブリハーサルも続いていた。

山口サマフェスのためのリハーサルが始まったのは、8月。
そして、山口サマフェス後の、
山梨での清木場俊介ファンンクラブイベント『summer soul』ライブへのリハーサルも、
これまた並行して始まっていた。
そう、
何年ぶりからのフェス参加のライブの山口きららドームのあとのライブに清木場俊介が決めたのは、ファンンクラブイベント『summer soul』ライブ、2DAYS・・
それも、二日間、編成もメニューも、まるで別のものだった。
一日目、ロックフルバンドでのライブ。
二日目、アコースティックバンドでのライブ。

これもまた新たな挑戦。
その頃のキヨキは・・・覚えてるな・・
まさに、スタジオに現れる清木場俊介は風のようだった。
全部を巻き込んでく風。
そこらに散らばってる不安や雑念のかけらたちを、一瞬にして一つにまとめた。
わくわくした。
時には、全部をなぎ倒す風でもあった。
中途半端に組み立てられたものは、すぐ、粉々にされ、吹き飛ばされた。
だから、オレらは、もっともっとマジになれた。
その時の積み重ねから学んだことは、忘れてない。

山口フェス。
当日は、炎天下。風も強く吹いていた。
風が吹きすぎていて、モニターと呼ばれる、オレらの足下から出る自分らのバンドの音さえも風に流れて、何も聞こえなかった。
そんな中、キヨキは歌ってた。
たぶん、あの風じゃ、何も聞こえてなかったんじゃないのかな・・と、ふと、今も思う。
でも、キヨキは歌ってた。
めっちゃ、集まってくれた人たちに向かって、汗いっぱい流して。叫んで。ありがとう・・ってたくさん笑って。
あの日は・・・オレは、帰りの新幹線、山口から東京まで、6時間?ずっと立って酒飲んでたなぁ(笑)。座れよ!って感じですが、車両のつなぎ目のところ、流れる景色を見て、ずっと立って・・なんか、興奮してずっと呑んでた。
あれが、今年のキヨキとの夏。

帰ってきてすぐに『summer soul』ライブのリハーサルの続きが始まった。
ロックフルバンドでのライブと、アコースティックバンドでのライブの連日の2DAYS。
それを形にしていくことは、思ってた以上に大変だったことは間違いない。
ギターのストロークひとつにしても、細かな修正が必要。
伝えたい歌に寄り添う清木場俊介のストロークに皆が合わせなければ、バラバラになってしまうアンサンブルとその想い。
そして、モニターバランスにしても、いつも以上の整理が必要。
一曲一曲、同じ顔色のものはない。
どれもが、生まれた時、歌われる時、それぞれの大切な想いを持っている歌たち。
それらの想いを決して投げやりにしない清木場俊介。
両日でおよそ50曲にも及ぶ候補曲を丹念にひとつひとつさらっていく日々が続いた。
居残りで練習をした日もあった。
メンバーで細かな言い合いをした日もあった。
ライブを前に、野外ステージでのリハーサルの日もあった。
夜遅くに及ぶリハーサル。
きらびやかな照明に誘われて大量の虫が発生して中断したりもした。
けれど、最後までやりぬいたリハーサル。
そして迎えた山梨での『summer soul』2DAYS。
今思っても、緊張感あふれる2DAYSだった。
清木場俊介のいくつもの顔が浮かぶ。
やり遂げたいという強い気持ち。
それが強く強くあったあの日々。
かけがえない経験をさせてもらった。
ライブ後、オレは珍しく熱が出て、寝込んだ。
こんなこともあるよなぁ・・と眠り、眠り、
いくつもの夢を見た。
リハーサル風景、ステージでの清木場俊介の背中、バンドメンバーたちとの会話。
夢の中では、まだライブは終わることなく続いていた。

秋を迎えても、清木場俊介の水面下での創作は続いていた。
時にはスタジオで会い、ぶれない姿勢を目の当たりにして、気が引き締まった。
そんな中、何年ぶりになるのかな、男だけのライブ『男祭』のリハーサルは10月にやってきた。
そうだよな、思えば、1ヶ月の休息というのは常になく、
清木場俊介の時間は動き続けていた。
『男祭』の記憶は、「ロックンロール!!」その一言。
もちろん、この時も、キヨキに、「現状維持の姿勢」は、なし。
前よりも、もっと。
今よりも、もっと。
その姿勢。
「新曲やりたいんすけど」と、新たな挑戦がぶっこまれた。
でも、その挑戦さえも楽しかった。
清木場俊介と向き合い、メンバーそれぞれが新しい歌に魂を入れる。
ぎゅいんぎゅいん、ぶんぶん、ばしゃばしゃ〜。
ギター、ベース、ドラム、オルガン、サックス・・楽しかった。
そして、みんなで「TFOA」のTシャツを羽織って弾けた本番の夜。

そして、今年の締めくくりとなった、12月のライブ。『WHITE ROCK』。
いつでも同じライブというのはなく、
また、0から1の創作。
バンドにコーラス隊も加わり、そこにストリングスチームも加わったこのライブ。
編成に対応してのリハーサルスタジオの移動は何度もあり、そこでの音作りも毎回1からだった。
整わない音の中では、本番をイメージしての真のリハーサルはできない。
それを誰もが知っている現場、常に緊張感のある毎日が続いた。
「今年最後のライブなんで」・・と、清木場俊介は何度もオレらに伝えた。
気合いが入っていた。
会場に集まってきてくれるオーディエンスに対しての想いがひしひしと感じられた日々。
そして、本番日。
熱く、濃く、細かく、魂を共有していくリハーサル。
それを前へ前へと解き放っていく本番。
空気が煌めいていた。
その人も、煌めいていた。
終焉は、炎の中にいるようだった。
体のいろんなとこが、白に戻っていくように、燃えている気がした。

「終わったんだなぁ」と誰もが何度も呟いていた、終演後のメンバー楽屋。
笑顔と強い瞳でキヨキが来て、握手をして・・・
その後も、メンバーはともに椅子に足を投げ出して、「終わったんだなぁ」と
何度も呟きあっていた。
オレは缶チューハイを呑んで、耽っていた。
わーーーーーーーーーと、
いろんな風景がよぎる頭の中で、ただただ耽っていた。

2013年の清木場俊介との日々。
たくさんのかけがえない風景。
たくさんの色とりどりの想い。
たくさんの学びと成長。
汗は限りなく、涙もあった。
笑顔もいっぱいあった。
そして、
たくさんの感動があった。
たくさんの、「生きてるな、オレ」と感じられた生命の躍動。

きっと、書き足りないもの・・
いや、もっともっと書きたい想いはいっぱいだけど、

感謝・・という言葉だけを、大きく刻みたい。

ありがとうございました。
ただただ、その想いが溢れる今。

マジ、熱かったな、清木場俊介との今年の日々・・も。



出逢いとはなんだろうな、と思う。
出逢いをいただけた運命の意味ってなんだろうな、と思う。
少なくとも、
自分は、
かけがえないこの出逢いから、
懸命に音楽の中で生きれた日々をいただけた。
懸命に生きる自分自身とも出逢えた。

忘れたくない。
誰のためでもなく、
自分自身の次の、一年のために。



| 17:02 | CATEGORIES:I appreciate it |
2013-11-27 Wed
7月からの4ヶ月強の日々。
デビュー20周年メモリアルツアー『喜笑絆結』ツアーが終了しました。
数えきれない出逢い。
その中で溢れ続けた感謝がありました。
思えば、20年前にステージに立ったあの日。
渋谷のEGG-MAN。
あの時の自分は、20年後歌っている自分の姿を想像さえしていなかったと思う。
ただ、その瞬間に見ていた夢に血を踊らせて、ステージに立ったあの日から20年目の今日、
今も「歌い続けている」という、そのことに、まっすぐに「幸せだ」と思えた、
そんなツアーでした。

街から街へ。
自分の歌を待っていてくれる人達へ逢いに行く旅。
去年の12月、「独立」という道を選び、1人ハンドルを握ってゆく旅。
目に映る景色全てが、自分にひとつひとつチカラをつけてくれる感じがした。
空。雲。山々。海。風。木々。
息づく世界の中で、しっかりと命を滾らせていこうと日々思った。

辿り着いたライブハウスの前の階段で開演時間を待って座り込んでいる時には、
なんだか不思議な感覚を何度も覚えた。
「歌うたいの道を選んでなかったら、歌うたいを続けていなかったら、
こうして、この街に出逢うこともなかっただろうなぁ」なんて。
流れ、流れ、流れ、流木のように流れ、
時には岸辺にひっかかり、時には荒波にもまれ、
時には砂浜に打ち上げられ、けれど、また波にさらわれ、流れの中に身を任せ、
そうして、今流れ着いた街で、また歌ってる自分。
歌えている自分。
今を、たくさん噛み締めた。

歌い終えて、車に段ボールやピアノを運び込み、ふっと見上げた時の星空。
そこで吸い込んだ風。本当に気持ち良かった。
全てのざわめきが優しく、あたたかかった。
生きてるな・・と何度も実感した。

不安はまったくなかった。
ステージの上から見えるみんな、そこで出逢える人達がいるだけで幸せだった。
声が出るだけで幸せだった。
鍵盤を奏でる、その手が動くだけで幸せだった。
そこから生まれる歌に、こんなにも耳を傾けてくれる人達がいる・・・
歌えてることに毎日こんなに嬉しさが溢れたのは、
もしかしたら、初めてと言っていいかもしれない。
なぜだったか・・はわからないけれど、
日々そこに向かって生きてること、息をしてること、動いてること、
荷物をまとめたり、車を走らせたり、人と話し合ったり、
その全てが、「ステージで歌うために」に向かっていたからかなぁとも思う。
そんな、1人の人間の歌に集まってくれる人達に、感謝だけしかなかった。
そう、感謝ばかりが溢れた。
悔しさや憤りや失敗を振り返る時間なんてなかった。
前だけを見た。
そこにこそ、いつも輝きがあったから。

一夜一夜の残像が、今も目に浮かぶ。
ずいぶんと泣きながら歌った日もあったな。
客席の人の涙がきらきらと輝く日もあった。
笑ってばっかりの日もあった。
暑くて暑くて死にそうになった日もあった。
カラダが鋼鉄のように動かない日もあった。
汗と涙で鍵盤がぐしゃぐしゃに濡れた日もあった。
逝ってしまった人たちが見守ってくれてるような日もあった。
今日までの日々を回想しながら歌う日もあった。
きっと、
このツアーの残像は、これから先、幾度もこの自分に蘇り、
そして、背中を押してくれるだろう。
「ほら、おまえにはあの日々があっただろう、決して、おまえの歌は終わらない」と。


『喜笑絆結』。
タイトルをつけた時には、そんなに意味を考えてはいなかったけれど、
今は、このタイトルが愛おしい。
ツアーのすべてが、この言葉たちの向こう側に見えるから。


さて。

線を引いて、ひとつ、けじめをつけるかなぁ・・と、
つらつらと言葉を書いてきたけれど、
尽きない。

・・から、
この続きは、また、次へ向かう自分の姿で、
日々に綴っていこうと思います。

旅は終わってないから、ね。
歌う旅。生きるという旅。

明日に向かって、
今を越えていかないと。
そしてまた、
新しい自分を手に入れたい。

ありがとう。

本当にありがとう。

忘れないから。
本当にありがとう。

その日々を浮べ、笑顔のまま・・・

でも、ほら、また
新しい波が、迎えにくるんで、

行ってきます。

また、次で!

逢おう。





| 14:31 | CATEGORIES:I appreciate it |
2013-10-26 Sat
濡れたアスファルトを鳴らして車が走っていく音。
雨はやんだみたい。
磨りガラスの向こうは白の光。
窓辺の机の上は、ノートの切れ端、ヘッドフォン、楽譜が散らばっている。
そこにPCを拡げて、なにやらやることが今日もいっぱい。

その日にやることがあり、それがずれると、なにもかもがパーになってしまうような日々。
こんなふうな日々もあります。
こんな時には、いつもの癖・・ふっと、オリンピックを目指すアスリートを浮べたりする。
全くもってその人達とつながりはないけれど(笑)、
「きっと、あの人達は毎日毎日、同じ事の繰り返し、反復練習をやってるんだろな。
1ミリ1ミリの成長の中で、上だけを目指してやってんだろな。」・・
なんてことを浮べて、自分を奮い立たす。
さぁ、私もがんばりましょ〜。
世界を揺るがすスペックは持ち合わせていないけれど、
地道にポジティブにがんばるスペックぐらいは、身につけられるぴょ。


7月から始めたデビュー20周年弾き語りツアー『喜笑絆結』は来月からまた再開。
ツアーのラストを飾る『結の巻』は、東京、福岡、熊本、広島、大阪、そして、
再び東京・・・東京の最後の最後は、バンドで打ち上げ花火のようなライブが待っている。

『喜笑絆結』ツアーは、自分で言うのもなんだけど、
まっさらな、いち人間としてステージに立っているような旅。

ま、そうだろな〜・・今まで、自分自身でステージへの道を深く作り上げてはいたけれど、
そこにはいろんなスタッフがいてくれて、その人たちに囲まれ、その人たちに支えられ、
その準備していただいた中で、歌を歌ってきた。
今回は・・違う・・わな。
その全てが、自分。
道を外すのも、道を立て直すのも、道を次への道につなげていくことも。
ま、
どこにいても、どんな環境でも、それら、自分の生きる道や生き様に向かっての
選択はあるけれど・・・、
自分の中では今までよりも突出した、「僕が僕であるために」の日々を生きているような気持ち。


『喜笑絆結』10月のツアー、『絆の巻』ツアーも濃く深く、そしてあっという間だった。
今まで以上に、「弾き語り」の語り・・いっぱい話したなぁ。
自分がどんな想いで独立したか・・とか。
何がきっかけでクラシックピアノを習い始め、そこからロックンロールの道を選んでいったか・・とか。
小さい頃に亡くした弟の話しもした。
父親から学んだ「人の生き方」の話しもした。
命について、自分が思う事も話したっけ。
母親の話しもした。
家出の話しもした。
バンド時代、バイト時代の話しもした。
いろんなバンドメンバーとの出逢いの話しもした。
「みんなはどんなふうに染谷俊と出逢ったの?」のMCに対して綴ってくれた、
みんなからの手紙の言葉から感じた話しもした。

絆・・と書いて、絆(てん)の巻・・と名付けたツアー。
最初は、ただ、当て字だったんだ。
けど、
ツアーをして、いろんな場所で、いろんなみんなと逢って、
歌って、話して・・そんな日々を重ねるたびに、
今回のツアーは、本当に、絆の巻なんだ・・・と実感していった。

人生の中で、
親と子の絆があったり、
ともに同じ場所で肩を叩き合ったり笑い合ったりして育っていく絆もあり、
例えばそれは奇跡の糸で前から結ばれていたような・・そんな絆もあり、
気づかないうちに何かに橋渡しされて結ばれていた絆もあり・・例えば、見知らぬ者同士、
けれど、それぞれが、同じ歌に励まされ、感じ、涙した者同士だったりの絆もあり・・。

絆の巻ツアーは、いつのまにか、そんな絆について深く感じいったツアーだった。

このツアーのために駆けつけてくれた10年来の同志、
THE SPEARHEADとの夜も最高だったなぁ。


生きてるってだけで、
結ばれていく、結ぶことのできた絆・・って、やっぱあるんだよな・・って思えた旅。
本当に最高だった。
本当に、本当に。


ありゃ、いつのまにか、熱くツアーを振り返る感じになってますが・・、

すべての日々や、そこでの出逢いが、自分にとっての肥やしであり実りであり、
花になるための日々だと強く思っています。
それは、今日という日も、昨日という日も、明日という日も。

さっきも書いたけど、
そう、次は、『結の巻』だ!
どんなことになるや〜ら〜、
『喜笑絆結』ツアー中、まだ行けてなかった九州もあるし〜、たかまるっ!
あったりめぇーだけど、
悔いなき、この2013年の歌う旅を刻み付けます!


さてさてさて、こんな歳してオレは相変わらずアホで、
打撲なんかをしちまいましてね、
その経緯は馬鹿すぎて話せませんけどね(笑)、
でも、こんな時、思うのです。

いいなぁ〜、
馬鹿でいたいなぁ、馬鹿で・・と。


いつかは忘れたけど、
坂道をチャリでくだる時、そのスピードと向かい風が気持ち良くて、
ブレーキをせずに、駆け下りて行ったあの長い長い坂道。
飛べるかもしれない・・と思った。
この先どんなことになるんだろう、まぁ、なるようになっちまえ、今、最高に、E気持ちやし!
・・・そんなふうに、坂道を駆け下りたあのときめき。
馬鹿だったよな〜。
こわさもあり、不安もあり、けどその躍動に身を任せ、
天に向かってコッパみじんになってもかまわねぇ〜!と思ったあの馬鹿。

でも、それが最高だったよな〜。

そんなあの時の「いつか」は忘れたけど、

あの時の「ときめき」は忘れてない。

ではでは。


ブ音っ、ブ音っ、ブ音っ!!
今日もフルスロットルで、生きますか。






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2013-09-24 Tue
『喜笑絆結』ツアー、笑の巻、
東京から幕開け、宇都宮から始まった12日間の旅を経て、
青森ライブでゴールを飾り、昨日帰ってきました。
昨日は10時間強のロード。
さすがに、車を降りたら、カラダが震えていました(笑)。
なんだろ、あれ、同じ姿勢でずっといすぎて、カラダがしびれていたのやら(笑)。
今日は、がんばったロード車、黒豹号をガソリンスタンドで洗車してもらってます。
・・で、つらつらと、浮かぶ言葉たちを・・・。


青森からフェリーに乗って函館に着いたのが14時。
7イレブンの青空駐車場で、車内の荷物を整理。
こういうのも、旅っぽくて、好き。
そこから、車を走らせて、札幌へ。
初めて見る景色がいっぱいで、すごくときめいた。
大沼インターから、まずは一本道。
駒ヶ岳も見えた。
やがて、山間の向こうに、海が見えて、その向こうに黒い影。
ナビを見ると、湾の向こうの同じつながってる大地だと知って、ときめく。
まるで、日本じゃないみたいな風景。
・・っつーか、まだまだ日本の大きさ、日本のいっぱい、
オレ知らないんだな・・。
「室蘭まであと○○㎞」の文字にまたときめいて・・・。
室蘭経由で高速道路をまわると距離的に結構あることを知り、途中の洞爺湖出口で降りて、
そこから下道で行くことにした。
結果的に、それはとても時間がかかる形になってしまったけれど、
それでも、見えた風景は本当に美しく、心が洗われた。
曲がりくねった道の先へ先へと広がる大きな淡いブルーの空。
窓をあけると、気持ちの良い秋風が髪の毛を揺らす。
やがて、大きな山がどーんと目の前に現れる。
羊蹄山・・・。
あとで地元の方に聞いたら、なかなかいつもは雲や霧がかかっていて、
地元の人でも見れない山だそう。
「いーや、北海道があんたを歓迎してたんだね~」なんてことを言われて、ひとり盛り上がったっけ。

札幌に着いたのは、日も暮れきった20時前。
もう、夏の後ろ姿さえ見えない、「寒いなぁ」と思える街。
今までデビューからずっと染谷俊を応援してくれているスタッフの方たちと連絡を取り、再会した。
いろんな話しができて、本当に嬉しかった。
これからリリースしたい新しいCDの話し。
これから自分がこの札幌でやっていきたいライブやイベントの話し。
札幌だけにかぎらず、北海道でやっていきたい色々なこと。
独立という道を選んだからこそ、やっていきたいこと。
いっぱい笑って、いっぱい話して、深い深い時間でした。
「あんた、北海道をなめてるでしょー」と、履いていたビーサンを指差されながら、
大きく手を振って、再会を約束した。
ありがとうございました・・と、夜空の下、何度も思った。

翌日、ついに札幌でのライブ。
わぁ、札幌で歌える・・・日が差すホテルの部屋、朝から盛り上がってた。
ライブハウスは、お客さんとの距離がとってもとっても近い場所。
みんなが一緒に歌ってくれる声や、拍手がすごく聞こえてきて、
本当に本当に嬉しかった。
みんなが自分の歌を待っていてくれたんだ・・ってことが、心に染みて、
こみあげてくる想いがたくさんありました。
普段歌わない、いろんな歌も歌った。
いっぱい話しもしたなぁ。
素直にたくさん話せたなぁ。
キャンプファイヤーして、炎に照らされた顔を並べながら、歌いあうような、
あのなんとも言えない幸せな気持ち。
そんな気持ちがした、夜。
ありがとう。みんな、本当にありがとう。

オレが札幌でライブやるってことを仲間同士で話して駆けつけてくれた、
何十年ぶりで会う札幌在住や北海道出身の仲間たちも来てくれてた。
びっくり・・だけど、マジ、嬉しかったぁ~。
なんか、すげーなぁって思ったよ。
音楽続けてきて、いろんな選択をして、いろんな別れもして、
けれど、歩き続けてきたからこそ、また再会できるこんな日もあって。
久しぶりで照れくさかったけど、本当に嬉しかったんだ。


札幌ライブを終えて、そのまま夜走りで、函館へ。
今回のツアーでは初めての夜走り。
夜走りは、マジ、疲れやす(笑)。
先に続く道が闇にあるし、それも初めて走る道。
林道を抜けて、室蘭経由で海沿いをなぞるように走る道。
ずっとハンドル握る腕と肩にチカラが入りっぱなし。
それでも、僕らは、馬鹿話などをしながら、ただただ笑って走った。
「ついたら、絶対ビール呑もうぜ!なにがあっても絶対呑もうぜ!
なんだったら、コンビニ前でもいいよ。凍えても」
ナビの到着予想は、朝の5時前。
なんとか、着いた時には、タクシーの運転手さんが通うラーメン屋さんだけが空いていた。
『笑てん』っていうお店。
「次のツアーが、てんの巻だから、これ、運命じゃねぇ〜?」
なんて言いながら、
まぶたが閉じそうなのに、すきっぱらに飲んだビール。
うまかったなぁ。

何時間が眠り、日差しの中フェリーに乗って青森へ。
絨毯の上で倒れるように眠って、着いた時には顔に跡がついてた(笑)。
そこから速攻チェックインして、そのまま1人ラジオ局へ。
ピアノの鍵盤がひとつおかしくなってたので、スタッフはホテルのロビーでピアノをぱっかり
開けて修理。
先週も出演させてもらった青森放送の土曜ワラッターでは、今回も2時間ほど出演させてもらって、
いっぱい曲をかけさせてもらった。
本当にありがたいです・・こんな、顔に眠った跡つけて、ぼさぼさの頭を隠してタオルを巻いてるような、
そんなオレをあたたかく迎えてくれるラジオ局の皆さん。
そして、ラジオにメールをくれたたくさんの人達。
ありがとうございました!

そして、一夜明け、
笑の巻、ラストライブ、青森ライブ。
目の前には・・
待っていてくれた人たち。
いろんな街から集まってくれた人たち。
この街で出逢ったくれた人たち。
ツアー最後の夜。
いろんな想いがこみあげる中、たくさんの歌を歌った。

20年前にデビューした時このステージに立っていた自分と話しをしているような、
そんな気持ちにもなった。

まっすぐな気持ちをこめて歌った。
話すこと・・なんにも決めてなかったけど、
いっぱい話しもした。

最後の歌を歌い始める前、
なんだかふっと寂しい気持ちにもなったけど、
また次、ステージで歌うことを約束して、歌えた。

ありがとう。
出逢えた、みなさんのおかげです。
本当にありがとうございました。

忘れない。
っつーか、忘れられないツアーになりました。
あっと言う間に、また次への旅が始まる。
デビュー20周年のライブツアーは、マジでやばいぜ!
この人生にとって・・・。

笑の巻ツアー。
笑って、笑って、笑って、
最後まで笑って、
抱きしめたいくらい愛おしいいっぱいの笑顔に囲まれて、
終わり、そして眠った。
目覚めても、まだ、あったかなぬくもりと次の約束が、しっかりと胸にある。

ありがとう。


さてさてさて、
今日は、2度寝っす。
早朝なんだか起きちゃって、また眠った。
けれど、なんだか、うまく眠れない。
だよなー、やることがたくさん。

洗濯〜
それしながら、メンバーにメール〜
車から荷物下ろし〜
新たな積み込み〜
洗車〜
これから銀行〜
からの、会食。

曇ってた空から、太陽が顔を出す。
「おまえ、ほら、新しい今日だ。動きんしゃい!」って言われてるようだ。

いっぱいのチカラをもらって、
また次へ。

明後日の、大好きな新宿マーブル2マンライブに向かって、明日はリハーサル。


やったるぜ。

かかってこいや。
どんどん、かかってこいや。
かもん、かもん、かもん!未来の自分!


























| 15:55 | CATEGORIES:I appreciate it |
2013-07-15 Mon
今・・・を生きる。
すげー、むずかしい。
今を生きようと思う前に、
「あれしなきゃ、これしなきゃ」と、
明日のことを考えすぎたり、
その先のことを考えて・・・今を生きてしまう。
そこに、いつも、ジレンマや壁がある。
今をオレは本当に生きているか?・・ってな、そんな想い。


自分がサポートとしてステージ立たせてもらった、
清木場俊介ツアー、2013 FIGHTING MEN TOUR。
大阪城ホール。
昨日、幕が閉じました。

すげぇ、濃い、深いツアーだったなぁ。
けど、
そこに、微塵も悲観はなく、
本当に、歩み、歩む、ツアーだった。


今を生きる・・・そのオレが、
本当にそこにはあった。
明日をよぎる余裕もなく、
昨日を振り返る時間などなく、
ただただ、今を生きた。


その時々で、
その一夜一夜で、
「歌いたい歌を歌う」・・を貫いた、唄い屋、清木場俊介。
その姿を見つめた、毎日。

最高だったな。
そして、
まじ、
いっぱい、勉強になった。
感じたこと、いっぱい、あった。

経験。

大きい、大きい、経験をさせてもらいました。

感謝ばかりです。

メンバー、最高だった。
いくつも、言い合いもしたっけ・・・
でも、
まじ、最高。
皆、一つに向かって、生きた。

スタッフ、最高な人ばかりでした。
すげぇ、語ったな。
すげぇ、肩、叩き合ったなぁ。
たくさんのチカラを見せていただきました。

清木場俊介。
やっぱ、
最強で、最高な男です。
歌を届ける..そのまっすぐさ、その瞳に、
オレは何度、今回も、揺り動かされただろう。
・・そして、
また次へと羽ばたく翼を、見た、昨日。
センターステージで消えそうなくらい、眩かった最後の姿。
2013年の春から夏のこのツアーを、
オレは忘れない。

忘れない。
そう、この自分のためにも。


目覚めたら、白い空の大阪。
街をふらつき、ミーティングをして、この時間。

けど、
胸の奥には、
ひとつ、ずっと、
「始まり」の文字。

そう、また、新しい始まり。

負けらんねぇ。
ハンパはねぇ。
ここから、ここから、またいちから。

明日から、自身の歌うたい旅に向かって・・
今を、生きよう。


| 01:19 | CATEGORIES:I appreciate it |
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