2012-01-13 Fri
スタジオ隅、
ソファーにあぐらをかき、
ギター録音やベース録音に耳を傾けて、
細かな注文をしたり、考えをあおいだり、
そんなこんなしているうちにまた日が暮れる。

家に戻れば、言葉を探す。
いや、正しくは、スタジオの作業中の音の海の中にあっても、
後頭部の右側40%ぐらいのところで言葉を探している感覚があり、
移動の電車でも見えない空気中の粒子の中に言葉を探す自分がいる。
絶え間なく、「ボクが伝えたい思い」を具現化する言葉・・詩というものを
探している。

今朝は、パソコンの中に眠る言葉を探して、
ただただ心のままに綴られた破片たちのいくつかを読みあさっていた。
ふと、8年前の、レコーディング中のある日に書かれた日記のようなものを見つけた。
マーラーの交響曲に耳を傾けて、
制作の日々の中に自らの哲学めいたものを模索する8年前の自分がそこにいた。

その日の一文を、ここに残して、ボクはまた、今日の模索を続けようと思う。


2004年、8年前のある日の日記から・・・・・・・・・

昨日はマーラーをゆっくりと聴いたっけ。
失ってしまったものや取り戻せないものが、時々、目の前にあるものたちよりも
大きく見え、今の自分に迷いや問いを投げかける時がある。
そういった時に、マーラーを聴く。
その音楽の中には、人生というものが映し出される。
日々の中で失っていくもの、変わっていくもの、壊れていったもの、
運命というものに翻弄され流されていってしまったものの数々が、旋律に誘われ、浮かぶ。
けれど、その失っていく日々の泡の中で、それでも生きていこう、生ききろうと、
必死に生きる人間の姿も映し出される。
日々の中で隠れていた、それぞれの人々の日の当たらない場所での懸命な姿が浮かび上がる。
それは、やがて人生の輝きに思えてくる。
人生を回想し、自分の今ある命の意味をもう一度思い起こさせてくれ、優しい力をくれる。
ぶざまでもいいさぁ。懸命でいいさぁ。遠回りでいいさぁ。・・とそんなふうに。
僕にとって、マーラーは、そういう音楽だ。
光と影。
どちらもあって当たり前のことだ。
時々それを忘れて、どちらか光ばかりを求め、影ばかりに失望し、
うまくいかないことを嘆いたりする。
それは、僕のワガママだと思う。
光も影もある世界で、僕等は生きているのだ。
そこで、どう生きるか。
それを自分で見つけ、探し、歩んでいかなければいけないのだ。
光を知る人は、影の暗さを本当の意味で実感するだろう。
影を知る人は、光の目映さに心から幸せを感じるだろう。
影を知らない人には、本当の輝きは見えないだろう。
そういえば、光と影のあるあの人が好きだった。
あの人の光と影に翻弄され、喜んだり、悩んだり、悲しんだりもしたけれど、
そこに嘘がなかったとある日知ったから。

さてさて、壊れた部分が多数あったのだけれど、ずいぶんと越えた。
止まらない時間の中で、思いこみの強さで傷を治し次へと行くっきゃない。
良くも悪くも、我が願いと魂だけは不死身。
今日はまたまたレコーディング。
自分自身の思いをこめる歌と向き合うその時間をしっかりと生ききりたい。
それが全てだ。

片方の翼でも飛べると、そんなロマンをいつも夢見てた。
なんか、そういうのかっちょいいし。
わりと大変だろーな、と最近は思う。
けど、やっぱ、かっちょいいなーと思う気持ちは変わりない。
片方の翼でも飛べると信じて空見上げて非常にがんばってる姿が、好きなのかもしれない。
見る人が見たらバカなのかもしれないけどね、
自分にはそれが素晴らしいことなのだと公言できる。
よくわかんないけど、そんなことを思ったわ。

| 15:01 | CATEGORIES:スケッチ |
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