2013-12-20 Fri
ビクタースタジオにいる。
なぜか無性に言葉を綴りたくなってパソコンを開けている。
書きたくなった事柄は、自分がバックメンバーとしてステージに立たせてもらっている清木場俊介さんと今年2013年に刻んだ日々のこと・・・いや、自分がその日々に感じたこと・・だ。
もっともっと言えば、この書き出しは、正確ではない。
なにせ、「清木場俊介さんとのこの一年」をなんとか言葉にしたいと思ったのは、ビクタースタジオの片隅にいる「今」が始まりじゃなく、ここ数日間、ずっと、書き残していたい気持ちですごしていた。
忘れたくないから。
誰のためでもなく、自分のこの一年のために。
でも、なんか思いを言葉として形にすることが難しく・・いや、書くならもっともっと時間がある時に・・と思いを先延ばし、整理しようとして・・・
けれど、今日、衝動に任せ、こうして、パソコンを開いた。
隣では、ビクターのディレクターさんがせっせとスケジュールを組み立てている。
ロビーの向こう、キヨキが足早に消えていく。

話はそれるけれど、
清木場俊介さんのことを、自分は、「清木場さん」と呼ぶことがほとんどだ。
ともに清木場俊介と夢を語ったりする時、あと、オレの絶対的な仲間と話す時は、
「キヨキ」と呼ばせてもらったりする。
この呼び方が、本当は自分は一番好き。
他、こうして言葉として語らせてもらう時は、「清木場俊介」と書いたり、「清木場氏」と書いたりもする。
自分でも不思議だなぁと思う、こんなに自分にとって呼び名がある人。
ただ、ひとつだけ、「清木場さん」と呼ぶ時の自分なりのこだわりの場所がある。
そう呼ぶ時は常に、「創作」の場所。

これは、勝手な自分のエゴでもあり、妄想でもあるけれど、
ものを作る人・・・僕らで言えば、歌を産む人、音楽を産む人は、
どれだけ経験があっても、また新しい歌や音楽を産む時は、
経験ではなく、前例ではなく、「0から1」だ。・・・と思っている。
「前の場合は・・」とか、「普通は・・」とか、「今までは・・」とか、
そういうのは、あり得ないと思っている。(先も言ったけど、オレの勝手なる思いです)。
そんな自分の思いの中で、
どれだけ年月をともにしたりしたとしても、
やはり、清木場俊介さんと「創作」や「新しく挑戦すること」において、
0でいたい。
またここから。
なぁなぁではなく、またいちから。
そんな思いで、自分は、「清木場さん」と呼ぶ場所・・創作の場所がある。

自分でも、めんどくさい自分だなぁ・・と思う。
もっと、そんな垣根を越えて、笑い合えればいいなぁ、いつでも一番好きな呼び名で呼び合えればいいなぁ・・と思う時もたくさんあるんだけど・・
これは、オレの性分なんですね・・自分なりの、その時々の清木場俊介の呼び名がある。
話はずいぶんと逸れたけれど、それをふまえて、今日こうしてこみ上げてる思いを綴っていきたいと思う。

「今年のキヨキとの日々を書き残しておきたい」・・そう、こみ上げたのは、
まばゆい光色に包まれて朝が明けた先週のあの日、
清木場俊介さんの国際フォーラムでの”WHITE ROCK”ライブの日だ。
「今年最後の清木場俊介さんのステージなんだな・・・」と、なんともいえない気持ちで電車に揺られて会場に向かったあの日。
引きずるキャリアバッグの音、駅までの道すがら吹きつける風の音、乗り継ぎのホームでの地下鉄が近づいてくる音・・それらがとても愛おしく感じたあの日。
そうだな、こうして、ずいぶんとこの音に包まれながら、清木場俊介さんの歌う旅をともにできた今年だったよな・・
そう、感じたあの日から、なんだか、この一年の清木場俊介とともに生きられた瞬間瞬間のことを考えていた。

始まりは今年、2013年、2月末。
打ち合わせもしたな。そこから始まった3月の大阪と東京のアコースティックライブ。
モニター環境もアンサンブルも、すべてが初めてだったその挑戦。
リハーサルスタジオで何度も何度も清木場俊介が求めるグルーヴを求め、メンバーとも戦った。
とってもとっても難しくハードな毎日。
ライブ前日のゲネプロは、大阪のライブハウスを貸し切って、最後の調整をした。
キヨキは何度も何度も歌ってくれた。けれど、なかなかバンドグルーヴがまとまらず、夜中、0時を越しても、演奏は続いた。
そして、その間、清木場俊介はずっと歌ってくれた。「こんなんじゃない」思いを伝えてくれながら、ずっとずっと歌ってくれた。
そして当日。
ライブハウスの上の窓から、トークコーナーを見ていた。
緊張感ある始まりから、その後キヨキの笑顔とお客さんたちの笑顔を見れて、
ジーンときた。
絶対、成功してやる・・っつーか、このライブ、絶対、絶対・・って思った。
そして、ライブ・・・拍手が染みた。
で、「もっともっと・・」マジ、そう思った。
大変さもあったけれど、それは確かな手応えで扉を開いていくような日々だった。

アコースティックライブが終わり、すぐに4月、ニューアルバムプレビューライブへ向けての日々。
アコースティックサウンドから、再びバンドサウンドに戻ってのライブへと「スイッチしていく」ことへの感覚も、挑戦だったと思う。
「スイッチしていく」ことだけでも大変なことだけれど、そのプレビューライブのリハーサルとともに、5月から始まる全国ツアーのリハーサルも並行してやっていた。
プレビューライブと、ツアーライブは、全く違う色合いを持つものだ。
それぞれの曲目を入れ替え、曲順を入れ替え、
何通りもの曲順を作り、1曲目からリハーサルをして、ライブの流れを確かめたりもした。
「何かが違う」と感じれば、それをまた修正し、そしてまた1曲目からの流れで曲順通りさらっていく。
ほぼ曲順が確定していくと、そこから前後の曲の流れで、1曲1曲のテンポを変更し、また確認をした。
清木場さんの集中力はハンパなかった。
そして、そのポテンシャルも。
いつだって、ひっぱってくれてくれたのは、キヨキだった。
立ち止まることなく、「絶対やれる」と悠々と前へ前へと進んでいく気持ちと姿勢。
その勢いを追いかけて、音楽に染まり、音楽の中で生き続けていた日々。

5月から7月は全国ツアー。
もちろん、ホールならではのパフォーマンス、そして、唄い屋としての想いのすべてを歌にこめる姿勢は変わらず。
そこにプラスアルファ・・・
今までよりも、より、
その日、その時、「歌いたいと思った歌を、歌う」・・・それを貫き、
そこにも「挑むこと」と向かい合っていた清木場俊介がいた。

何度、ステージでその日の「歌いたい歌」について話したろう。
何度、楽屋で話したろう・・ライブが始まる前。ライブが終わったその直後。
「この日は絶対この歌を歌いたいんです」と、想いを綴ったメールもたくさんきた。
濃かったなぁ。

今でも、その日々を振り返れば、名付けようのない熱い震えのような感覚がこみあげる。
ずいぶんと譜面を持ち歩いていたなぁ。
事務所の人が、全曲をプリントアウトしてくれたそのコード譜は、20センチ以上の幅があった。
重かった。
でも、その重さよりなんか比べようのないぐらいな、「歌いたい気持ち」。
リハーサルのたびに、キヨキは、ひとりギターで歌ったり、ギターをポロポロ鳴らしたり、
時には楽屋でひとり練習したりもしてた。
リハーサルの音決めが煮詰まって本番開演まであとちょっとしかない!って日でも、照明さんの調整が入るステージで、ひとり歌ってた。
その背中を、オレは見ることしかできない日もあった。
突然のピアノの弾き語りで歌う曲も時にあり、その瞬間に立ち会うたび、「この自分にできる精一杯のこと」を感じられて、自分がここに在る意味に充実をも覚えた。
1公演、1夜1夜、1リハーサル1リハーサル・・かけがえない経験だった。

たくさんの夜を越えて迎えた最終日の大阪城ホール。
ここでも、清木場俊介の妥協はなく・・・というか、
また新しい清木場俊介がそこにいた。
リハーサルから、「ツアーのことはツアーのこと。今日のこの場所と、今までの場所は違う」・・そう凛とステージに立つキヨキがいた。
マジ、燃えた日だった。
終わったあとの酒がうまかった。あんなにうまかったお酒は、ひさびさだったな・・・
バンドメンバーは、ずっとずっと、”ROLLING MY WAY”を口ずさんでた。
笑って、笑って、・・で、また次へ目を尖らせて、
・・で、オレもまた、目を尖らせ・・潤まないように、目を細めて。

・・・・
・・・・・
さて、ビクタースタジオから帰ってきました。
雨がすごくて、押し合いへし合う満員電車で・・普通だったら、オレ、ぶちぎれて傘もぶっ壊して帰ってくる頃だけど・・
今日は、あれからずっとキヨキとのこの一年を考えている。
・・なんで、もうずいぶんと遅い時間だけど、このまま、言葉を綴ります。

7月までの清木場俊介全国ツアー最終日大阪城ホールの後、次の清木場俊介さんのライブ、
自分が参加したのは、8月、山口きららドームでの何年ぶりからのフェス参加のライブ。
今、帰ってきて、今年のスケジュール帳見たら、なんと、大阪城ホールライブの2週間後ぐらいから、そのサマフェスまで、次へ向けての清木場俊介レコーディングが始まっていた。
デモテープ作りのような作業も、ともにしていた。
人の目には見えない水面下の中で、キヨキは動きまくっていた。
で、並行して、ライブリハーサルも続いていた。

山口サマフェスのためのリハーサルが始まったのは、8月。
そして、山口サマフェス後の、
山梨での清木場俊介ファンンクラブイベント『summer soul』ライブへのリハーサルも、
これまた並行して始まっていた。
そう、
何年ぶりからのフェス参加のライブの山口きららドームのあとのライブに清木場俊介が決めたのは、ファンンクラブイベント『summer soul』ライブ、2DAYS・・
それも、二日間、編成もメニューも、まるで別のものだった。
一日目、ロックフルバンドでのライブ。
二日目、アコースティックバンドでのライブ。

これもまた新たな挑戦。
その頃のキヨキは・・・覚えてるな・・
まさに、スタジオに現れる清木場俊介は風のようだった。
全部を巻き込んでく風。
そこらに散らばってる不安や雑念のかけらたちを、一瞬にして一つにまとめた。
わくわくした。
時には、全部をなぎ倒す風でもあった。
中途半端に組み立てられたものは、すぐ、粉々にされ、吹き飛ばされた。
だから、オレらは、もっともっとマジになれた。
その時の積み重ねから学んだことは、忘れてない。

山口フェス。
当日は、炎天下。風も強く吹いていた。
風が吹きすぎていて、モニターと呼ばれる、オレらの足下から出る自分らのバンドの音さえも風に流れて、何も聞こえなかった。
そんな中、キヨキは歌ってた。
たぶん、あの風じゃ、何も聞こえてなかったんじゃないのかな・・と、ふと、今も思う。
でも、キヨキは歌ってた。
めっちゃ、集まってくれた人たちに向かって、汗いっぱい流して。叫んで。ありがとう・・ってたくさん笑って。
あの日は・・・オレは、帰りの新幹線、山口から東京まで、6時間?ずっと立って酒飲んでたなぁ(笑)。座れよ!って感じですが、車両のつなぎ目のところ、流れる景色を見て、ずっと立って・・なんか、興奮してずっと呑んでた。
あれが、今年のキヨキとの夏。

帰ってきてすぐに『summer soul』ライブのリハーサルの続きが始まった。
ロックフルバンドでのライブと、アコースティックバンドでのライブの連日の2DAYS。
それを形にしていくことは、思ってた以上に大変だったことは間違いない。
ギターのストロークひとつにしても、細かな修正が必要。
伝えたい歌に寄り添う清木場俊介のストロークに皆が合わせなければ、バラバラになってしまうアンサンブルとその想い。
そして、モニターバランスにしても、いつも以上の整理が必要。
一曲一曲、同じ顔色のものはない。
どれもが、生まれた時、歌われる時、それぞれの大切な想いを持っている歌たち。
それらの想いを決して投げやりにしない清木場俊介。
両日でおよそ50曲にも及ぶ候補曲を丹念にひとつひとつさらっていく日々が続いた。
居残りで練習をした日もあった。
メンバーで細かな言い合いをした日もあった。
ライブを前に、野外ステージでのリハーサルの日もあった。
夜遅くに及ぶリハーサル。
きらびやかな照明に誘われて大量の虫が発生して中断したりもした。
けれど、最後までやりぬいたリハーサル。
そして迎えた山梨での『summer soul』2DAYS。
今思っても、緊張感あふれる2DAYSだった。
清木場俊介のいくつもの顔が浮かぶ。
やり遂げたいという強い気持ち。
それが強く強くあったあの日々。
かけがえない経験をさせてもらった。
ライブ後、オレは珍しく熱が出て、寝込んだ。
こんなこともあるよなぁ・・と眠り、眠り、
いくつもの夢を見た。
リハーサル風景、ステージでの清木場俊介の背中、バンドメンバーたちとの会話。
夢の中では、まだライブは終わることなく続いていた。

秋を迎えても、清木場俊介の水面下での創作は続いていた。
時にはスタジオで会い、ぶれない姿勢を目の当たりにして、気が引き締まった。
そんな中、何年ぶりになるのかな、男だけのライブ『男祭』のリハーサルは10月にやってきた。
そうだよな、思えば、1ヶ月の休息というのは常になく、
清木場俊介の時間は動き続けていた。
『男祭』の記憶は、「ロックンロール!!」その一言。
もちろん、この時も、キヨキに、「現状維持の姿勢」は、なし。
前よりも、もっと。
今よりも、もっと。
その姿勢。
「新曲やりたいんすけど」と、新たな挑戦がぶっこまれた。
でも、その挑戦さえも楽しかった。
清木場俊介と向き合い、メンバーそれぞれが新しい歌に魂を入れる。
ぎゅいんぎゅいん、ぶんぶん、ばしゃばしゃ〜。
ギター、ベース、ドラム、オルガン、サックス・・楽しかった。
そして、みんなで「TFOA」のTシャツを羽織って弾けた本番の夜。

そして、今年の締めくくりとなった、12月のライブ。『WHITE ROCK』。
いつでも同じライブというのはなく、
また、0から1の創作。
バンドにコーラス隊も加わり、そこにストリングスチームも加わったこのライブ。
編成に対応してのリハーサルスタジオの移動は何度もあり、そこでの音作りも毎回1からだった。
整わない音の中では、本番をイメージしての真のリハーサルはできない。
それを誰もが知っている現場、常に緊張感のある毎日が続いた。
「今年最後のライブなんで」・・と、清木場俊介は何度もオレらに伝えた。
気合いが入っていた。
会場に集まってきてくれるオーディエンスに対しての想いがひしひしと感じられた日々。
そして、本番日。
熱く、濃く、細かく、魂を共有していくリハーサル。
それを前へ前へと解き放っていく本番。
空気が煌めいていた。
その人も、煌めいていた。
終焉は、炎の中にいるようだった。
体のいろんなとこが、白に戻っていくように、燃えている気がした。

「終わったんだなぁ」と誰もが何度も呟いていた、終演後のメンバー楽屋。
笑顔と強い瞳でキヨキが来て、握手をして・・・
その後も、メンバーはともに椅子に足を投げ出して、「終わったんだなぁ」と
何度も呟きあっていた。
オレは缶チューハイを呑んで、耽っていた。
わーーーーーーーーーと、
いろんな風景がよぎる頭の中で、ただただ耽っていた。

2013年の清木場俊介との日々。
たくさんのかけがえない風景。
たくさんの色とりどりの想い。
たくさんの学びと成長。
汗は限りなく、涙もあった。
笑顔もいっぱいあった。
そして、
たくさんの感動があった。
たくさんの、「生きてるな、オレ」と感じられた生命の躍動。

きっと、書き足りないもの・・
いや、もっともっと書きたい想いはいっぱいだけど、

感謝・・という言葉だけを、大きく刻みたい。

ありがとうございました。
ただただ、その想いが溢れる今。

マジ、熱かったな、清木場俊介との今年の日々・・も。



出逢いとはなんだろうな、と思う。
出逢いをいただけた運命の意味ってなんだろうな、と思う。
少なくとも、
自分は、
かけがえないこの出逢いから、
懸命に音楽の中で生きれた日々をいただけた。
懸命に生きる自分自身とも出逢えた。

忘れたくない。
誰のためでもなく、
自分自身の次の、一年のために。



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